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上海市観光地一覧


上海観光スポット@

(編著:柏木 史楼 / 写真提供:中国国家観光局) 

[名所旧跡]

【豫園(よえん)】
安仁街218号・黄浦江西方、南市区

 黄浦江の西側の南市といわれた地域に、16世紀の中ごろ、倭寇(わこう)の襲撃を防ぐために高さ8m、周囲5kmの上海城壁が築かれました。この一帯は上海に租界が置かれた時代でも、中国人だけの街として残り、チャイナタウンと呼ばれていました。明代の1559年に四川布政使だった潘允端が上海城の半分を買い取って造営した別荘(庭園)です。そのため当時は「半城」とも呼ばれていました。豫園の「豫」は愉の意で、「豫悦老親」に由来しています。順次拡大され、最盛期には面積は約5haの広さがありました。明末には荒廃しましたが、清代に再建され、西園と呼ばれました。アヘン戦争以後、しばしば破壊され、敷地の一部は商店街になったり、建物の一部は学校などに使われたりしました。1956年から修復が始まり、現在2ha余りが復元されました。
 園内には三穂(さんすい)堂・仰山堂(2階は巻雨楼)・天春堂・万花楼・点春堂・和煦(わく)堂・会景楼・九獅(きゅうし)軒・玉華堂・快楼・得月楼などの楼閣があります。また、2万tの武康石を築き上げた大假(たいか)山、楼閣を区切る龍壁、箱庭風景の魚楽樹、名石の玉玲瓏などもあります。門外の荷花(はす)池の中央にある湖心亭は九曲橋がかかっていて、ここはかつての豫園の中心と言われています。豫園の南端にある内園は、昔の城隍(じょうこう)廟の花園だったもので、東園と言われていましたが、現在では豫園の一部となりました。中国の造園技術の粋が集められ、静観大庁・聳翠(しょうすい)亭・観月楼・還雲楼・延清楼・古戯台などの楼閣があり
ます。


【豫園商城】
安仁街18号・豫園西側

 豫園西側にある一大観光買物センターで、デパートやレストラン、多くの土産物屋などが集っていて、昔は老城隍廟商場と呼ばれていました。ここでは中国のあらゆる物産が売られていると言われています。商場内の建築物の多くは、明清時代の建築風格を模していて、豫園内の楼閣とよく調和しています。


【外灘(バンド)】
中山東路東側

 黄浦江と蘇州河が合流する地点に架かる外白渡橋(租界時代はガーデンブリッジと呼ばれた)から南の金陵東路までの中山東路全長約1500mの両側一帯を、中国語で「ワイタン」、英語で「バンド」と言います。中山東路の東側は黄浦公園になっていますが、西側は租界時代に建てられた欧米様式の建築物がずらりと並び、異国情緒を高めています。各建物は夜間にはライトアップされて、一段と魅力ある輝きを放っています。対岸の
浦東地区は日本の企業が並ぶ対外解放区で、上海の新しいシンボルの一つ、東方明珠広播電視塔(テレビ塔)が望めます。黄浦江西岸の堤防沿いを、ゆっくり歩いて観光することは、上海観光の醍醐味(だいごみ)と言えます。


【玉仏寺】
安遠路170号・安遠路と江寧路の交差点

 清代の光緒年間(1875〜1908)の初期、普陀山の僧、慧根(すいこん)がビルマから大小5体の玉仏を持ち帰り、そのうちの2体を上海に残し江湾に寺を建立したのが始まりと言われています。1911年の辛亥革命以後、廃寺となりましたが、1928年に再建されました。玉仏寺は禅宗.臨済宗の寺院で、典型的な宋代宮殿様式です。弥勒殿・大雄宝殿・三聖殿などからなり、方丈の階上にある玉仏楼に高さ1.8mの玉仏座像が安置されています。もう1体は96cmの釈迦涅槃像で、西側の四合院に臥仏堂があり、そこに安置されています。玉仏寺の精進料理は技巧に優れていることで有名です。



【静安寺】
南京西路1686号・地下鉄2号線「静安寺」駅北側

 最初三国時代の呉の孫権によって、247年に呉淞江北岸の滬涜に建てられ、滬涜重園寺と呼ばれていました。唐代は永泰禅院に改名され、北宋代の1008年に現在の名になりました。1216年に現在地に移転しました。その後、たび重なる戦禍により、清代の光緒年間に造られた仏殿と山門だけになりましたが、1998年に修復工事が行われ、山門、兜率(とそつ)殿、大雄宝殿、観音殿、方丈楼、念仏堂をもつ仏教寺院になっています。


【白雲観】
老西門西林后路100弄8号・地下鉄1号線「黄陂南路」駅南方

 清代に創建された全真教の道教寺院です。北京市内にある本山も同名と言います。創建当初は東新橋にありましたが、1882年に現在地に移り、規模も拡大されました。そのころは多くの信者を集めていましたが、文化大革命では徹底的に破壊されましたが、最近は拝殿が再建されています。


【国際礼拝堂】
衡山路53号・地下鉄1号線「衡山路」駅北東側

 7300uの敷地にある礼拝堂の建築面積は1372u、1925年に上海の外国人キリスト教徒が、フランス租界に建てたゴシック形式の教会です。中国共産党政権下で閉鎖されていましたが、1980年に活動が再開され、1989年に政府による文物保護を受けるようになりました。堂内には座席が1400席あり、現在、上海最大のキリスト教教会です。


【徐家匯(じょかかい)天主堂】
浦西路158号・地下鉄1号線「徐家匯」駅南西方

 清代の1896年に創建した、上海最大のローマ・カトリック教会で、高さ60mの二つの鐘楼閣が南北にシンメトリーになっていて、2500人を収容できます。主体外壁にはステンド・ガラスがはめ込まれた巨大な円形花模様の窓があります。


【小桃園清真寺】
復興東路小桃園街52号・豫園南西方

 1917年に建立されたイスラム寺院で、当初は清真西寺、または上海西側回教堂とも言われました。1925年に現在地に移築され、大殿は500u広さで、四つの丸天井をもつ西アジア・イスラム建築で、上海最大のモスクです。


【魯迅公園】
四川北路2288路・地下鉄3号線「虹口体育場」駅東側

 1896年に租界義勇隊の射撃練習場から始まり、以前は「新公園」、あるいは虹口(こうこう)公園と言われ、1988年に「魯迅公園」と改称されました。公園内には魯迅記念館や魯迅墓があります。墓碑銘は毛沢東の直筆によるものです。記念館は当初、魯迅故居の隣にありましたが、魯迅逝去20周年を記念して、1956年に虹口公園に移されました。また、墓碑の上部には椅子に座った魯迅の銅像が建立されています。




【上海魯迅(ろじん)故居】
山陰路132弄9路・魯迅公園の南

 魯迅が53歳から56歳までの最晩年の3年間、住んだ所です。赤レンガ造りの3階建てアパートの一角で、1933年4月11日に転居してきました。2階の表側の書斎兼寝室が仕事部屋で、窓際に机と籐椅子(とういす)が置かれていました。一時、中国共産党指導者で、左翼文化運動家の瞿秋白(くしゅうはく)を同居させていたこともありました。魯迅は1936年10月19日午前5時25分に、この住居で永眠しました。
 近くには、魯迅と親交の深かった内山完造の経営する内山書店があった中国工商銀行が、山陰路と四川北路との交差点にあります。


【宋慶齢故居】
淮海中路1843号・地下鉄1号線「衡山路」駅西側

 孫文夫人で、中国名誉国家主席だった宋慶齢が1948年以来、1981年に亡くなるまでの後半生を過ごした住居です。隣接する陳列館には、1915年に東京(日本)で挙げた結婚式の写真や日本語による結婚契約書などが展示されています。


【孫中山故居】
香山路7号・復興公園西側

 中国革命の父とも言われる孫文(中山)が1918年から1924年の間、夫人の宋慶齢とともに住んだ、事務所を兼ねた住居です。1925年3月に孫文が亡くなった後は、宋慶齢が1937年まで、ここに住んでいました。


【三山会館】
中山南路1551号・南浦大橋西方

 上海民間収蔵品陳列館の中にある三山会館は、1910年に福建省出身の果物商人の同業組合会館として建設されました。この会館を有名にしたのは1927年の上海労働者第3次武装蜂起です。これを指揮したのは周恩来で、3月21日の蜂起によって北洋軍閥孫伝芳の重要拠点を占領しましたが、4月12日に蒋介石の反革命クーデターにより、上海蜂起軍の司令部であった三山会館が蒋介石軍に包囲されてしまいました。この時、会館にたてこもっていた上海労働者の大半が壮烈な戦いによって犠牲になりました。


【四明公所旧址】
人民路

 四明公所は清代の1797年に浙江省寧波出身の商人と手工業者の同業者組合が建設しました。現在は、正門と周壁が残っているだけです。1849年にフランス租界が設定された後、1874年と98年の武力で公所などを租界に組み入れようとして、多数の市民を殺傷するという事件が起きました。これに対して上海の民衆はストライキなどの抵抗に立ち上がり、遂に公所の強奪を断念させました。


【一大会址】
黄陂南路374号・地下鉄「黄陂南路」駅南方

 正式には中国共産党第一次全国代表大会会址と言います。中国共産党の創成期である1921年7月に最初の全国代表大会が開かれた建物です。当時のこの地域は、フランス租界でした。大会には全国57名の党員の代表である13人が参加、この中には湖南代表として毛沢東も含まれています。しかし、すぐにフランス租界警察に察知され、中国共産党の結成宣言は南湖の船上で行われました。


【龍華寺】
除匯区龍華鎮・地下鉄3号線「龍漕路」駅東側

 唐代に建立された古刹(こさつ)とされていますが、一説には三国時代に呉の孫権が、夫に先立たれた母の悲しみを慰めるために建立したのが始まりとも言われています。2万uの敷地に弥勒殿・天王殿・大雄宝殿・三聖殿・方丈殿が五進殿堂式により一直線に並んでいます。また、東西にある鐘楼にある大銅鐘は高さ2m、重量6500tもあります。龍華寺の前には7層8角の高さ40.4mの龍華塔が建っています。




[公園・博物館・動植物園]


【人民公園】
南京正西路・地下鉄1号線「人民広場」駅北側・2号線「人民公園」駅南側

 中華人民共和国建国以前は競馬場の一部で、1981年に政府が接収し、翌年に29haの敷地を持つ人民公園と人民広場として整備されました。遊歩道や芝生・築山・清流などがあり、市民の憩いの場となっています。公園内には上海図書館や児童遊園地もあります。


【上海自然博物館】
延安東路260号延安東路の河南中路の端

 1963年に開館した、展示面積4000uを持つ自然科学をテーマにした博物館です。古生物学・植物学・天文学などの20万点以上の化石・標本を所蔵しています。特に魚類・鳥類・ほ乳類などの6展示室から成る動物学分館には巨大な恐竜化石も展示されています。また、鳥類標本は1000種、約1万点も収蔵しているそうです。


「海洋世界」

【上海動物園】
虹橋路2381号・虹橋国際空港の隣

 新中国成立以前はゴルフ場でしたが、1954年に動物園として開演しました。敷地は70haで、中央の動物区には500種・3000匹を超える動物が飼育されています。中国の希少動物であるジャイアントパンダ・レッサーパンダ・小鼻天狗猿・白唇鹿・揚子江ワニなどがいます。


【上海植物園】
龍呉路1100号・地下鉄3号線「上海南」駅南東方

 81haの敷地をもつ、中国でも最大規模の植物園です。1974年に開設され、園内は、植物進化区・環境保護区・盆景区・漢方薬区・展覧温室・蘭室・緑化師範区・植物楼閣などに区分され、中国内外の3000種を超える植物が栽培されています。特に、中国の国花でもあるボタンと盆栽が有名です。


【上海植物園温室】
龍呉路111号

 熱帯雨林地帯の環境を再現し、四季の花々が咲き乱れる熱帯植物館と、世界各地のサボテン、多肉類植物を収集展示して、熱帯荒原を髣髴(ほうふつ)させる砂漠植物館とがあります。


【上海体育館】
中山西路、漕渓北路・地下鉄1号線「上海体育館」駅東側

 敷地約11haという広大な敷地を持ち、1976年に開設されました。直径110m、高さ33m、3万1000u、1万8000人収容の円形室内競技場が主体です。


【青浦大観園】
青浦青商公路701号

 園内の建築物は中国三大小説の一つ「紅楼夢」をモデルとして建設されています。敷地面積8万u、建築面積は8000u余りで、1979年に上海園林部門によって建設されました。園内にある「梅塢春濃」は梅の名所として知られています。





【上海博物館】
人民大道201号・地下鉄1号線「人民広場」駅南側

 博物館の総床面積は3万8000uという大博物館です。中国の悠久の歴史を物語る数々の遺物が展示されています。1階は古代青銅館・古代彫塑館、2階は古代陶磁館・暫得楼陶磁館・3階は歴代絵画館・歴代書法館・歴代璽印館、4階は古代玉器館・歴代銭幣館・明清家具館・少数民族工芸館に分かれています。1日では到底見切れないほどの展示品があります。


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